個展「旅へ」明日から [展覧会]

2015年の個展が明日から始まる。
飾り付けが終了した。

味岡伸太郎展
「旅へ」
2015年10月31日(土)—11月23日(月)
ギャラリー サンセリテ

アーティスト・トーク&オープニングパーティ
10月31日(土)午後6時半より

修正72.jpg
地質調査報告書 長久手
152cm x 10m 水彩紙・土 2015
今年は、名古屋で三回のワークショップを行った。
今回の作品の多くはワークショップのために
採取した土で制作した。

アーティスト・トーク&オープニングパーティで
何を話そうかと… 
あれこれ、珍しく考えている。

2015年1月の愛知県陶磁美術館〈地質調査報告書「愛知ノート」より〉では、
土を求めて1000kmの旅をした。
そして、旅の目的地「長久手」から始まる新しい旅… 。

来年の8月に始まる「あいちトリエンナーレ2016」
テーマは「虹のキャラバンサライ=創造する人間の旅」
新しい旅はさらに長い旅になりそうだ。
そのさわりも少し…    

土を使用した制作を始めて、随分長い年月が過ぎた。
最近、子供向けの講座で、中学生からインタビューを受けた。
「土はどのように選ぶのですか」私は「選ばない」と答えた。

「選ぶ」という行為は、
元々、自分のなかに、描いた結果が存在し、
それを実現するために「選ぶ」のである。
土で描くということは、そもそも不自由なもの。
自分の思いに添わせるには元々不向きなものである。

思い通りに描きたいのならば、
自らのイメージに最も相応しい表現を実現させるために用意された
「絵の具」を使ったほうが確実で簡単である。

私には、そもそも実現したいイメージなどはない。
それでは、何故土で描くのか。
それは土が全て違うということにつきる。
試し描きなどは絶えてしない。
つまり、描き終わるまで結果が分からないということである。
それは、常に真剣勝負であり、常に新鮮であるということである。

美術とは何か、それは人の営みの結果である。
行為の後に結果は必ず残る。
その営みを永遠に続けるにはどうすれば良いのか、
その行為が常に新鮮であることが条件となる。
行為のあり方は土が教えてくれる。
それに全てを委ねることができれば結果は必ず付いてくる。

そのためには、土、あるいは自然は、
絶対に美しいという確信を持たなくてはならない。

「選ぶ」ということの基準は、自らの価値観である。
それは、必ず自らの枠の中にある。
中々、それは越えられない。

しかし、選ぶことを放棄すれば、
その枠など始めから存在しない。

そんなことも…

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風祭り [田舎暮らし]

先週末
小坂井の菟足神社の風祭りに出掛けた
風祭りは豪快な花火で知られるが
まことに地味な神事について回った。

この祭りには人身御供の伝説がある

大祭の日に
「子だが橋」を最初に渡る若い女を
生贄にする風習があり
その役目の男が待ち受けると
やってきたのは自分の娘
男は「自分の子だが」仕方ないと
泣く泣く我が娘を生け贄にした

「今昔物語」一九巻には
三河の国守大江定基が
「其の國にして
国の者共風祭と云事をして
猪を捕、生け乍ら下してけるを見て」
いよいよ出家する心を強めたことが
書かれている

人身御供はともかくとして
猪はいつの頃か雀に変わり
それも鳥形をへて
現在は矢を二本射るだけとなった

神事はあっけなく終わる
写真を撮る間もない

祭り1日目に雀射初神事
2日目が雀射収神事
3日目には雀12羽が献供される

実際に雀が献供されるかどうかは
宮司家の秘事とされている

最近の動物愛護団体のからみも
あるのだろう
わずらわしいことだ

祭り1日目に雀射初神事の前に
浜下神事が行われる

菟足は「うたり」と読む
「うたり」とは葦の茂る湿地のこと
古くはあたりは汽水域だったのだろう
蛤はそんな淡水の影響のある
内湾の砂泥底に生息した

浜下神事の後に
雀射初神事の一行は茹蛤の供応をうける
海の幸の豊漁を願う持てなしであり
呪術なのだろう

一行と別れ神職と総代は雀射初神事に向かう
菱木野天神社で矢を二本放つ

雀弓.jpg

3日目の雀1献供の前には
田植神事で種籾播きが行われる
それを終えて雀献供となる

一説には、生贄とされるが
本来は稲に雀が害をなさない呪術なのだ
それ以前が猪だったのは
おそらく、それが稲作以前の
害獣駆除の呪術だったのだ

小坂井町は現在も伏流水が豊富だ
稲作にも適し、早く
狩猟から農耕に移行できたのではなかろうか
穂の国の名も案外そんなところから
名付けられたのではと…
妄想を膨らませながら
神事を見ていた

神事を待つあいだに
社の脇の神木に目がいった
万福招来生木の表示とおかめ面

おかめ.jpg

豊作を願う田遊の神社には
はらみ女がつきものだった





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4月、新学期です。

新学期となり
何も関係はないのだが
久しぶりにブログの気分

昨日はJAGDAの創作保全委員会で上京
今年の7月に開催される著作権セミナーの会議
そのことについては、詳細が決定次第
このブログやJAGDAのHPで紹介する。

今日はその後の話

会議後、虎ノ門の
菊池寛実記念 智美術館で開催中の
遠くて近い井上有一 展に出かけた。

yuichi_inoue2015a.jpg

早いもので、没後30年になる。

展示は、初期から晩年までの約50点。
筆で書かれたものだけでなく、
晩年のコンテによる作品や、自画像・陶器も並び
それほど大きな展示ではないが
井上先生を一望できる、よい企画だった。

図録に載っていた先生の言葉

「もっと書一筋に生きなければダメだ。…
どこか古い家に住んで、食いものなんかそれこそナッパと大根くらいでいい、
金は紙と筆を買うのと、表具するだけは十分欲しい… 井上有一」

若いころ、先生から
書をすすめる葉書をいただいたことを思い出す。
今もって、書一筋には生きられない。

それとは別に
筆で書かれた手紙が一通手元にある
20周忌の時に額にいれて
事務所に飾っている。

井上有一手紙.jpg

いつか、軸にしなければと思っていたが
その時期がきたと思った。


その帰り道
暗くなった虎ノ門の
ビルの間に収まった鳥居があった。
とても好きな景色だ。
鳥居の両側には幟も立っている。
春の祭りなのだろう。
街がどのように変わっていこうとも
必ず、残る
日本人の変わらない思いがある。

虎ノ門鳥居.jpg

翌朝、届いていた鉛筆削りを
初めて使う。

私は頭の整理をするとき
鉛筆でなければまとまらない。
それも4Bに限る。
当然、柔らかいので芯は直ぐに減ってしまう。

仕事前には、必ずダース程度の鉛筆を削る。
短くなるのも早い。

そのため、金属製のホルダーを
使っていたのだが
実は、貧乏くさくて嫌いだ。

そんな時
短い鉛筆をつなぐ鉛筆削りを見つけた
早速注文したのだが
45日待ちでやっと届いた。

鉛筆削り.jpg

使ってみると結構手間がかかり
少し器用さが必要だ。
それは大丈夫だが、使用本数が多いと
せっかちな私で持続可能かと
いささか心配である。

接続鉛筆.jpg

写真下が接続した状態
上のホルダーはご用済み… ?。

もったいないという貧乏臭さを
オシャレに解決してくれ
持っているぞと自慢できる
なかなか優れものである。

だが、一つ問題がある。
鉛筆の殆どが
孫たちにお尻をかじられている… 。






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「豊川沿岸の野草料理」の会 [田舎暮らし]

豊橋市から湯谷温泉までの道中で見かける野草を採取し味わおうと、2013年の5月から初めた「豊川沿岸の野草料理」の会も2015年の1月で8回を数えた。四季に1回、毎年の開催月をずらし、3年で1年12ヶ月全ての野草を味わおうという企画だ。その記録の一端は「そう」の41号から「野草料理」として連載が始まっているので、読者の皆様もすでにご存知だろう。
 料理人は、山野草研究家「ゲーテ高橋」さんと、食・酒・旅探求人「露久保瑞恵」さん、器は私が制作したものを使用する。一筋縄にはいかない野草をどのように調理するか、達人2人は、毎回頭を悩ませ、腕をふるっていただいている。

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1週間前の土曜日に、野草を採取、試食し当日に挑んでいる。第8回目の試食会は1月17日。朝9時に岩田運動公園の駐車場に集合。いつものように野草を摘みながら、新城市の旧鳳来町湯谷温泉にほど近い私のアトリエに向かった。

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多米峠近くの林で平茸を採取していると、突然、すぐ隣の大木が倒壊、ガードレールを壊し道路の片側を封鎖した。

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瞬く間に渋滞が始まり、行き掛かり上、110番、しばらく交通整理をするハメになってしまった。適当に交通整理を終え、湯谷温泉に向かう途中で現場に向かうのであろうパトカーとすれ違う。サイレンも鳴らさず、実にのんびりしたものだった。
 昼近くにアトリエ到着。今日の収穫は春の七草は予定通り、だが、真冬だというのに、平茸、榎茸、木耳と三種類の茸が採れた。特に、平茸は危険も一杯だったが、大豊作。
 さっそく試食会。とは言っても、囲炉裏に炭を熾し、土鍋で湯を沸かし、採ったばかりの雑草をさっと湯通し、味を確かめ、当日の味わい方を話しながら、正月の残りの餅を囲炉裏で焼いて腹を満たすだけ。

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しかし、人はそれだけで充分に幸せになれる。不慮の災害に遭遇しても、野草と炭水化物があれば、生きていけるとおもうのだが、いつまでたっても、食べられる野草が覚えられない我が身は、達人2人付きでないと生きられず、できることといえば、腹の足しにもならない器作りだけとだらしない。
 当日は、スタッフを含め、毎回20人ほどが参加する。平均して、野草10種類、約20種の料理が並ぶ、野草特有の苦味が好評で、毎回名古屋から参加する方もいる。

当初の計画では残り後1年、3・6・9・12月と4回開催する。参加人員には若干の余裕がある。
次回開催は 3月28日。

問い合わせは 0532-33-0086(そう編集部)
定員になり次第、締め切り。
参加資格は「そう」定期購読者、及び協賛社
参加無料
野草料理に相応しいお酒
その他の差し入れ大歓迎。
是非、飯田線でお越し下さい。



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景象〈表紙の言葉〉101,102 [アート]

景象101号の表紙の言葉と同じ内容を
すでにブログでは書いたしまったので
覚えている方は飛ばして
102号だけ読んでください。
と言っても
確認する間に読み終わってしまいそうだが…

景象〈表紙の言葉〉101号

形象101.jpg
垂直考:立方体の出隅と同一のアールを入隅に持つアングルは直立する

前号では「水平考」だったが、今回は「垂直考」である。今回も、やはり「垂直」であることに意味はない。
 表紙の作品を発表した個展を見たある浄土真宗の住職が、ブログで次のようなことを書いていた。
 古くインドの龍樹菩薩の著書・大智度論の「 指月の譬」に「人の指を以って月を指し、以って惑者に示すに、惑者は指を視て、月を視ず。人、これに語りて、『 われは指を以って月を指し、汝をしてこれを知らしめんとするに、汝は何んが指を看て、月を視ざる』、と言うが如く」(月を知らせようと、指で指し示すのだが、愚かな者はその指ばかりを見入って、月を見ないままである」という、言葉とそれが知らせようとするものが異なることを告げている。)
 たまたま目にした鉄の立方体の全ての出隅にアールがあった。側にあった鉄のアングルの入隅もぴん角ではなくアールを持つ。添わせてみるとピタリと合う。倒れる可能性で残るのはアングルの面に添った方向のみ。立方体の上面の対角線上に立方体と同じサイズの石を置くと、安定して、アングルを垂直に立てることができた。この全ての発想と手順と結果の三者が同時に訪れたとき、制作は始まり、同時に完了する。だが、その三者、いずれも「月」ではなく、「月」の美しさを示したいのでもない。知らしめ、知りたいのは「何故、月は美しくあるのか」である。

景象〈表紙の言葉〉102号

形象102.jpg
垂直考:直角に屈折する線分は一つの重力で直立する

前号、で、知らしめたいのは「何故、月は美しくあるか」である。と書いて字数がつきてしまった。今回はその続き。
 通常、美術は、美しいものを創りだすことが目的とされている。その意味に限れば、美術家が示すのは「月の美しさ」とも言える。しかし、美しさを求めることは、技術的であったり、表面的な美しさにつながる危険が常にある。美しさをことさら求めずとも、必ず美しいものが生み出される行為のあり方。それを探し求めること。それこそが、私の求める現代美術であり、現代美術が常に新しさやオリジナリティに価値を見出す理由なのだ。それが、知らしめたいのは「何故、月は美しくあるか」と書いた理由でもある。それを造形と美術の違いと言い換えてもよい。造形とは、形を作ること。美術とは、美とは何かと考え続けること。
 満月はもちろん美しい。しかし、三日月も半月も雲に隠れた月も、好みは人それぞれだが、美しい。まったく見えなくとも、想像した月もまた美しい。自然は本来美しい。しかし、自然自身がそれを望んだわけではない。月の美しさを見いだしたのは人間である。月はその美しさを知らない。満月を美しく思い、満月を望むのは、人の作為である。三日月や雲に隠れた月の侘びた美しさをことさら愛でるのも、同様に作為である。人は作為なくして、行動はできない。しかし、作為に囚われていては、何も見出さず、創り出さない。答えは人間の「作為」に関わっている。



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陶磁美術館 茶会とワークショップ [アート]

陶磁美術館での「愛知ノート」も残すところ
2週間となった
2月28日には茶会
3月1日にはワークショップ

茶会は会期が始まってからの告知となり
参加者が集まるか心配したが
蓋をあけてみれば
5回の入れ替えが
飛び入りも含めて8回となり
閉館間近まで有意義な会話で
1日を終えることができた

陶磁 茶会 .jpg

花入の椿は染めた土を採取した
渥美の近辺に自生する藪椿を
茶会の朝
摘んで出かけた

明けて1日は
土で描くワークショップ
朝からあいにくの雨
昨日の茶会は雨でもよかったのに
私はやはり雨男かと思ったが
不思議不思議
土を採取している間だけ
雨がやんでくれた
美術館の進入路の斜面に
参加者20名が一列にならび
土を採取

土採取.JPG

会場に戻り
作品と絵の具について少し解説

会場説明.JPG

採ってきた土に木工用ボンドを混ぜ
絵の具を作る

絵具作り.JPG

完成した絵の具
一列に並べると色の違いが分かる

絵の具.JPG

採取した地層の順に一斉に
ペインティングの開始

制作1.JPG制作2.JPG

完成

完成.JPG

乾性油で練れば油絵となり
膠で練れば日本画や書となること

絵の具というものは
画材屋さんで買うだけでなく
気がつけば周辺にあるあらゆるものが
色彩を持ち
美術の素材になること

そして、自然というものは
本当に美しいものだということが
すこしでも体験していただけたのなら
少しは意義のある
ワークショップだったと
思えます

それとは別の話
遅れていた展覧会の図録が完成
それを見て
物故作家や
古い記録写真を撮影した写真家を除けば
私がもっとも年寄りだと知り
愕然とした

冗談では「老働者」と
自らを紹介しているが
現実にこのように他から知らされ
いささか寂しいような
若い人たちの間に入れていただき
感謝すればいいのか
年寄りたちよ
もっと頑張ろうよと
いえばよいのか…

ほんの少しだけ考えさせられた



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